第六章 白鷲会展

 美術部が白鷲会の名とともに本格的な復活を果たすのは、翌 1949(昭和 24)年のことである。この年の 10 月、大阪市立美術館で白鷲会展が開催される。今日まで続く関西大学美術部白鷲会の最大のイベントの始まりである。この記念すべき第 1 回展には、戦後の活動再開を祝し、創部会員の鳥海青児や当時美術部の指導にあたっていた一水会の河上一也、独立美術協会の中尾敬一郎が特別出品した。以後、白鷲会展は大阪市立美術館の改修工事のため代替会場を使用した 1987(昭和62)年から 1991(平成 3)年を除き、2012(平成 24)年までほぼ一貫して大阪市立美術館で開催された。

記念すべき第 1 回白鷲会展目録 1949 年(個人蔵)

 ところで、白鷲会展のカウントの仕方には不明な部分が多い。現在、1949(昭和 24)年の第 1 回展から 1954(昭和 29)年の第 6 回展までは目録で回数が確認できるが、その後の 15 年間分の白鷲会展については回数が分かる資料がない。次に回数が確認できるのは 1969(昭和 44)年の白鷲会展だが、1949(昭和 24)年から順当にカウントすれば第 21 回展であるにもかかわらず、いきなり倍以上の第 46 回展になっている。さらに、翌 1973(昭和 48)年の白鷲会展は第 50 回だが、1979(昭和 54)年の白鷲会展の目録では第 60 回展となっている。これも順当なら第 56 回展のはずだが……。1980(昭和 49)年から現在までの約 30 年間は、毎年 1 回増でカウントされているようだ。

 なぜこのようなことになっているのか。これは推測の域を出ないが、1969(昭和 44)年が第 46 回展なので、1955(昭和 30)年から 1968(昭和 43)年までのどこかで、創部の年を第 1 回展と見なしてカウントし直したとしたら、回数のつじつまは合う。しかし、だとしても、1974(昭和 49)年から 1978(昭和 53)年の5 年間に9 回も進んでいる理由は説明できない。記録では1962(昭和 37)年ごろから 1970 年代前半にかけて、秋〜冬の白鷲会展以外に、春や夏にも白鷲会展が開かれていた時期があるようなので、それらもカウントされているのだろうか(それにしても、増え方が多すぎるが)。ご存知の OBOG 諸氏がおられたら、ぜひご教示いただきたいところである。

第 46 回白鷲会展目録 1969 年(個人蔵)

滴翠美術館(芦屋市)での夏期白鷲会展案内ハガキ 1969 年ごろ(個人蔵 )

白鷲会展恒例だった大阪市立美術館大階段での集合写真

1969 年

1973 年

1976 年

1981 年

1984 年

2009 年

2012 年

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