第九章 活動の拡がり

 前述の初期の『白鷲』を見ると、新歓コンパ、学外での回生展やグループ展、夏と冬の合宿、大学祭(のちの千里祭、現在の学園祭)での学内展、大阪市立美術館での白鷲会展、追い出しコンパなどが、すでに 1950 年代から行われていた。今日の美術部白鷲会の恒例行事の原型は、半世紀前にかたちづくられ、名称や場所を変えながら継承されてきたことが分かる。

 一方で、今日ではなくなってしまった行事もある。そのひとつが美術部における「関関戦」である。関関戦とは、関西大学と関西学院大学がさまざまな競技で勝敗を競うスポーツ対戦であるが、美術部白鷲会でも1955(昭和 30)年ごろから1970 年代初頭までの約 20 年間、関西学院絵画部弦月会との間で関関戦と称した野球の交流試合や合同展、交歓会が行われた。

 また、1960 年代末から 1970 年代初頭には、毎年大阪の中之島公園で野外展が開かれている。このころ、美術界では従来の絵画や彫刻の概念にとらわれない新しい表現が台頭したが、その影響は美術部白鷲会にも現れ、この野外展でも、屋外の空間を活かした実験的な作品が多く出品された。夜間は部員がテントを張って不寝番をし、大阪市長からビールの差し入れを頂戴したといったエピソードも残っている。

滴翠美術館(芦屋市)での「かんかん展」案内ハガキ 1969 年ごろ(個人蔵)

大阪中之島公園での春期白鷲会展 1969 年(個人提供)

誠之館 1 号館ロビーでの学内展示 1976 年(個人提供)

2 回生展が開かれたギャラリー中之島前で 1983 年(個人提供)

長く学外での回生展やグループ展に使われ、各世代の記憶に残る発表の場としては、1950 年代後半から 1960 年代にかけて主として新人展の会場となった大阪堂島の喫茶店ムジカや、1960 年代中ごろから 1980 年代中ごろにかけて回生展などの会場になった大阪画廊、1980 年代初頭から 1996(平成 8)年に閉廊するまで学外発表の拠点になったギャラリー中之島などがある。

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